バズっていた本を読んで思ったこと
愛とは与えることだと最近読んだ本に書いてあった。
なぜ私は与えられないのだろう?と考えていて、生きていて辛くて痛み止めで精いっぱいだからとか、与えられてないものを与えられないとか考えていた。
けど、若い時は与えようとしてたのを思い出した。夫の人生が豊かになるようにぐずる夫を説得し動かそうとし、低賃金だけど仕事も頑張っていた。
夫からは拒絶しか来なかった。必要なことを二人で得ていこうという話し合いも、二度と俺の転職の話はするのと拒絶された、奪うだけの人に疲れて、家事もできを否定されて取り上げられて、具合悪くなって何もできなくなった。与えようとしていた時期は確かにあったのだ。持ってない中からだったから苦しかったけど、それでも。
今何かしてもらってもそれぐらい当然だろ、こんなひどい人生にされてと思ってしまう被害者意識も、一緒に頑張ってくれなかったという恨みから来ているのかもしれない。
一緒に頑張ってくれてたら、私が統合失調症発病しててもこんな人生にはならなかったのに。
私が好きだ愛だと思っているのは執着なのだろうか?本当は転職の話をするな子どもは欲しいと騒がれた時点で愛してないのではないか私だけでなく子どもにもすべての苦しみを押し付けて、自分は変わらず得ようとするその発言に血の気が引いたのを今でも覚えている。
私は夫にあと百万稼いでもらって、自分は軽いパートでわずかでも貯金しながら家庭を回していきたいと思っている。いまの普通の生活をすると自転車操業になるのを抜け出したい。でもそうなった時、曇りなく夫にお返しできるだろうか与えられるだろうか。そう考えてしまった。